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ブログ:厚切りジェイソンの「人とは違うのは恥」というtwitterでの発言について

たまたまネットのニュースで見た話題で気になったことの1つ。アメリカ人のお笑いタレント厚切りジェイソンが「日本では人とは違うのは恥だと若いときから教えてしまう」と言及していましたが、今日はそれについて少しお話します。

まず実は私は「厚切りジェイソンって誰?」というところから入ったのですが、結構有名なアメリカ人のお笑いタレントで、日本で感じた疑問などを面白く紹介しているみたいですね。日本のニュースや番組をマメにチェックし、日本にいる人と大差ないくらい知っていると自負していた私でしたが、やはり年々知らない芸能人が増えていってるらしいです・・・。

とまぁそれは前置きで、彼のtwitterは以下の文章。

"今朝、通りかかったお母さんが泣いていた幼稚園児息子を押し込み「泣いているのはお前だけだ」と叱った。
日本では「人と違うのは恥」だと若い時から教えちゃうんだね。" 
              「twitter#WHYJAPANESEPEOPLEより」

これを読んだ瞬間、その叱ってしまったお母さんの気持ちも理解できましたし、厚切りジェイソンの疑問に思った気持ちもよく分かりました。イギリスに長く住んでいて何が一番日本と違うかというとまさに「人と違うことを良しとするか悪しとするか」です。日本にいるときは常に他人との比較の中で自分がどうか位置づけをしていたような気がします。親からの教育も「周りの子が・・・」「他の子は・・・」「他の人が見たら・・・」と言われた覚えが多々あります。評価基準の1つが他人との差にあるんですよね。

もちろんイギリスにも他人の目を意識することはたくさんあります。ただそれは自分が意識するだけであって他の人にまでそれを押し付けること少ない気がします。その人が他と違う容姿や考え方、行動であってもある程度特性として受け入れられますし、それがその人の権利でもあります。おそらく他人種国家なので他者の存在を寛容に受け入れざる得ない歴史的な背景もあるのでしょう。

子育てに関してもその考え方の違いは大きいと思います。特にナーサリーに行きはじめて実感しました。私や旦那は日本人なのでナーサリーの中で外国人の息子が「他の子の中に馴染んでいるのか、他の子の中で浮いていないのか」をずっと心配していましたが、それってたぶん日本人的な発想なんですよね。イギリス人の先生の話を聞いていると特に他人と比べてどうこうというより、その個人がどういう状況であるか(例えばきちんと先生の話をきけるか、トイレは自分でできるかなど)が問題なければ、他人との関係性は今の段階でさほど大きなファクターではないような説明でした。分かりやすくいえば、その子があまり他者と関わりを持たず遊んでいたとしてもその子が先生の話を理解し聞けるのならば、特に問題はなく他者との関わりを持たないのはその子の「個性」の1つという認識です。きっと日本では他の子が出来ている年齢で「他者との関わりが持てない子」となると問題児に分類されるのではないでしょうか。

親の方の認識の違いとして実感した体験は、ナーサリーの課外遠足で15人くらいでミュージアムに行ったときです。まず親同行かどうかも親の方が選べます。忙しい人は行かなくても良いし、一緒に行きたい付いて人はいけます。私は息子が途中から疲れてぐずると思うので心配になり一緒に行きました。案の定息子は昼過ぎから眠くなりぐずってしまい困ったなーと思っていた矢先、同じようにぐずった子供のお母さんは迷わず「もう息子が無理なんで帰ります!」と帰ってしまいました。私もそうだったのですがやはり団体行動のときに一人だけ我慢できずに抜け出すことは「良くないこと」なのでがんばらせるというのが日本人的発想でしょう。それがイギリス人にはあまり無いみたいです。やれるとこまでやって無理だったら仕方ない、そんな感じでしょうか。

実は「他者と違うことは恥でなく個性だ。」というのに慣れると他人の目を過剰に気にしなくてよいので子育てにおいて結構楽だったりましす。評価基準が「他人」との比較でなく「自分の子がどうか」なので、自分の子の成長の度合いに合わせた子育ての方法を考えれますし、自分の子の良い部分に注目するので他人との比較で焦ったり落ち込んだりすることが少なくなりました。

日本は「個性」の無い子が増え、考え方も均一化され、トップに立つべき突出した人材がいないとちらほら聞きますが、そりゃ「人とは違うのが悪い」と教えられて「他から突出していない子」が「良い子」と子育てされれば、そういう子供たちが増えるでしょう。でも私はそんな日本人の考え方は絶対に悪いとは思いません。今の日本が経済的にも豊かで、犯罪も少ない安定した国家になれたのは一定の教育水準を保った人たちが生活をし、他人の目を意識しているからこそです。(イギリスは釣り勘定も出来ない人もいますし、犯罪率もすごい、変人も多いです)

ただ、もし自分のお子さんが他の子よりもちょっと変わっていて何か個性を持っているなと感じるならば、それは「ダイヤの原石」を持ったお子さんかもしれないのでそれを磨ける子育てをしてあげるのもいいかもしれません。評価基準を他人にするのでなく、その子自身の頑張り、成長度を評価してあげるといいかもしれません。ただこれを日本で貫くのは親の方も鉄の心が必要かもしれませんし、親自身も他人と比較して判断する癖をやめなければいけないでしょう。(あとあくまで人として重要なこと「他人を傷つけない、迷惑をかけない」など最低限のことは教えてあげなくてはいけません。「個性」をひけらかして他人に迷惑をかける人もいるので。)


話を戻し、厚切りジェイソンの見た幼稚園児が何で泣いていたのか理由がわからないので何ともいえませんが、例えば「お母さんと別れて幼稚園に行かなければいけないこと」が嫌で泣いているとしたら「他人と違うことを良し」とした場合どういうのが正解なのかと考えてみたところ、

1. 「泣くほど嫌なら今日は行かなくていいよ。」
2. 「離れるの嫌だよね。お母さんも○○と離れるの寂しいよ。」
3. 「幼稚園で○○すると楽しいと思うよ。ちょっとだけ頑張ってみようか。」

1は他人と違うことを認めてあげてますが、嫌なことはしなくて良いと甘やかしてしまうので良くない解釈でしょう。2は泣くこと(他人とは違うこと)認めてあげて「共感」してあげていますがこれだけで納得してくれるか正直謎です。私なりの正解は3だと思ってます。子供が楽しいと思えること(積み木するのが好きな子なら積み木について、外で遊ぶのが好きならそのことについて言及する)を強調して、前向きにがんばれるようにしてあげるのはどうでしょうか。そしてお迎えのときに一日頑張れたことを褒めてあげると良いような気がします。

実はうちの子もナーサリーに行くときに昔は毎日大泣き、今も時々泣きます。他の子は結構すんなりお別れしているので確かに「うちの子はなんで・・・」と大変に思うことはありました。ただやっぱり人と比較するとできない子供を責めるだけなので意味ないと気づきました。それから別れ際にハイファイブ(ハイタッチ)をして明るく別れる、「すぐに向かえに来るからね。」と一生の別れじゃないと息子に分かってもらう、「帰りに公園に行こうね。」と楽しい約束をする、など息子の様子によって対応を変えてます。それでも無理なときもありますが、「この子は人一倍甘えん坊だなー。」と思うようにしています。これだけでずいぶん楽になれました。

日本人の「人と違うのが恥」という考え方は子育てにおいて良い方向にも悪い方向にも転ぶ可能性はあるので良し悪しは個人の裁量に任せるとして、多民族国家に生まれ育ったアメリカ人の厚切りジェイソンが日本のこの考え方に疑問を持つのは当たり前だったでしょう。この発言で何が有益だったかというと、日本人に「『人と違うのは恥』が正しいのかどうか」「それが子育てへどういう影響を及ぼすか」を考えるきっかけになることじゃないかなぁと思ったりします。


posted by OneLittleHuman











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